日記
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2012年1月22日(日) TBS報道特集より
報道特集 2012年1月21日(土) TBS
JAPAN NEWS NETWORK
書き起こし ・・・ 石田良子
文中の凡例
()・・・ 画面状況説明
『』・・・ ナレーター(女性)
《画面に出たテロップ》
(スタジオの中。カメラの前に立つ男性。金平茂紀)
「こんばんは、報道特集です。大寒の今日は東京の方はめっきり冷え込んでいますけれども、テキサスの方は暑くなっているようです。ダルビッシュ投手のメジャーデビュー、北海道出身の私としては、活躍を祈るばかりですけれども、ちょっぴり寂しい気もいたします。それでは今日のニュースです」
(スタジオ、別のコーナーに作られた机に向かう男女。日下部正樹と竹内香苗)
日下部「はい、それではお伝えします」
{日米のニュースの報道。省きます}
(スタジオの画面に、《見えない聞こえない盲ろう者の支えの実態》の文字。バックに、大学合格発表の掲示をみて、手で大きな○を作って合図する森敦史くんと雷坂先生の映像)
日下部「視覚と聴覚に障害があり、見ることも聞くこともできない人たちを、盲ろう者と呼びます。報道特集では去年、大学に合格した盲ろう者の若者を紹介しましたけれども、彼はいま、学生生活が起動にのる一方で、支援体制を含み、将来への不安も隠せません。今回私達は、アメリカの盲ろう者を取材しました。そこからは日本が取り組むべき課題が見えてきました」
(桜の咲く幼稚園。入園式に集まる人たち《盲ろうで生まれた少女》)
『去年の春、都内の幼稚園に3歳の女の子が入園した。田中凛ちゃん』
(幼稚園の教室のなか。円く並んだ小さな椅子に進入園児たちが座っている。その前を一人だけ立ち上がって歩き回る凛ちゃん)
『入園式で他の子供たちは座って話を聞いているが、凛ちゃんはその場にじっとしていることができない。凛ちゃんは目と耳が不自由だ』
(周りを取り囲んで座っている父兄の中から、m一人のお母さんが凛ちゃんを追いかけ、抱っこして席に連れ戻す)
「視覚と聴覚。その両方に障害のある人のことを盲ろう者と呼ぶ」
(園庭で話す母、麻友さん)
麻友「特にお話をしているときは、意味が分からないので、動きたいですよね。座っててといわれても、何で座っているのかが分からないので」
『式の後、保育師が絵本を読み聞かせたが、凛ちゃんにはこの状況が分からない』
(保育師の周りに座って絵本を見る子供たち。凛ちゃんだけは部屋のあちこちを歩き回っている)
『ある程度の視力と聴力はあるものの、まだ幼く、正確な調査はできていないという』
(園庭を友達と並んで歩く凛ちゃん)
『それから8ヶ月後。4歳になった凛ちゃんは、元気に幼稚園に通っていた。身体も一回り大きくなった』
『この幼稚園には保育を手伝うボランティアがいる。凛ちゃんには必ず一人ボランティアが付き添う』
(ボランティアさんと、ホッピングや竹馬にのり、ニコニコ顔の凛ちゃん。次は、お弁当を食べる凛ちゃん。左手を添えながら、ホークで上手く食べています)
『お弁当も一人で食べられる』
(上手に食べられすぎて、次から次へと口にほおばる凛ちゃん)
保育師「凛ちゃん、ごっくんしてから。入れすぎだって!もぐもぐごっくんしてからよ。お願いします」
凛「はい」
『最初は仲間に入れなかった読み聞かせの輪にも凛ちゃんはいた。声が一番よく聞こえる先生の膝の上が凛ちゃんの指定席。ここでページをめくるのが凛ちゃんの役目だ。自分なりに幼稚園で居場所を見出しているようだ』
(先生の膝で、絵本が顔にくっつきそう。先生の声は凛ちゃんの耳元)
『他の子供たちも、ごく自然に凛ちゃんと接している』
桑原泉園長(若い女性園長)「他の子供たちは、自分たちと違うとは思っていないというか、凛ちゃんは凛ちゃんとして受け入れているので」
『言葉もたくさん覚えた凛ちゃん。両親はこの先も言葉で意思疎通ができればと願っているが、今後障害が進行する可能性もあり、不安は付きまとっているという』
(迎えに来たお母さんの自転車の後ろに乗って帰っていく凛ちゃん)
(画面変わって、大学の校門。ルーテル学院大学。賛美歌の合唱が聞こえている)
『去年大学生になった盲ろう者がいる。森敦史さん(19)。盲ろう者には視覚と聴覚が少し機能している人もいれば、全く見えず聞こえない、全盲ろうと言う人もいる』
(通訳・介助員に手を引かれて、他の新入生と一緒に入学式場に入り、席に着く森くん。「森敦史」と呼ぶ声。通訳者に知らされて、立ち上がり礼をする)
『敦史さんは全国的にも極めてまれな生まれながらの全盲ろうだ』
(突然1995年の映像。以前にも出たもの)
『これは、敦史さんが3歳の頃の映像だ。それまで片時も親から離れなかった敦史さん。保育園の園長があえて一人にしたのだ。3歳の男の子はその場から1歩も動かない。映像に映っているだけでも29分間も立ち尽くしていた』
森貞子(母)「この子は教えないと足も踏み出せないんですよ。見えない聞こえないですから底から動かないと言うのが一番の安全の策なんだってことを、彼は知恵として持ってるんです。声も出さない。おいでとも言わない。一日でも二日でも、多分あの子は立って待ってるんですよね」
『この頃の敦史さんは、表情の変化もほとんど見られない。感情表現の仕方も分からないのだ。情緒のはぐくみ、手話の習得、時間や距離といった物事の概念。敦史さんはそんな途方もない課題に向き合いながら、家族や指導者の支えのもと、一つ一つ克服し、人生を切り開いてきた。こうした努力の末』
(この間の映像は、前回も出た画面の繰り返しなので省きます)
敦史(指文字で)「ようやく大学生になれたかなと思います」
『敦史さんは今大学で福祉の勉強をしています』 《ルーテル学院大学・東京三鷹市》
(大学の教室。大勢の生徒に混じって席に着いている森くん。通訳・介助員が二人並んで座っている。隣の通訳者が手話と指文字で通訳。その隣でもう一人はパソコンに何か打ち込んでいる)
『手の中で手話を行う、盲ろう者独特の触手話という方法で通訳者が授業を同時通訳する。長時間のため、90分の授業ごとに通訳者が二人。1日授業が3駒あると、合計6人の通訳者が必要だ。休憩を取りながら通訳ができるように、二人体制をとっているが、ノートを取れない敦史さんのためにと、空いた通訳者が自発的に授業の内容をぱっそ紺で記録している』
通訳・介助者、森下摩利「普通の健常の学生に比べて圧倒的にやっぱり不利な条件ですので、通訳・介助者ができることは、あらゆることはやっていかないと」
(休み時間、介助者と食堂の自販機で飲み物を買う森くん))
『通訳・介助者の人件費はすべて大学側が負担している。自治体による派遣制度はあるが、人手と予算がかかりすぎるという理由から、学校などでは利用できないのだ。全校生徒が500人に満たない大学に取って、この支出は軽くない』
社会福祉学科、金子和夫学科長「金銭的にもかなりの負担にもなってくるわけですね。まあ、そうしたものを本学だけで果たしてその、やっていけるのかどうか。まあ、実際にはやるという覚悟を決めて受け入れたわけですから、責任としてやらないといけないと思っていますけれども」
『敦史さんも大学生活を維持するために、自発的に行動していた。大学は授業のための通訳・介助者はつけてくれるが、通学などは個人の責任だ。そこで敦史さんは学生のボラんティアを集めるため、休日を利用して、近隣の大学を訪問していたのだ』
(若い学生たちと、集まっている森くん)
『そのため、サークルを立ち上げていたのだ。その名は《あっ君クラブ》』
(大学内に張り出されたあっ君クラブの説明掲示)
『盲ろう者の森敦史さんが介助者を求めて自ら作ったサークル、あっ君クラブ。岡田道武さん(18)は、そのあっ君クラブの会員だ。敦史さんとは違う大学に通っているが、週1回、敦さんの通学をサポートしている』
(横断歩道で信号待ちをしている男子学生)
岡田「ああやばい、遅刻しそうになったことが何回かありますよ。お腹痛くなって。それで授業遅刻して出られなくて、単位が取れないとか成ったら大変だし、本当に。おおやベーやベー」
(走り出す岡田くん。歩道脇に森くんが立って待っている)
『この日は、約束の時間ぎりぎりに到着。敦史さんはすでに自宅の外で待っていた。学校までは10分の道のりだが、歩道が狭い上に交通量が多く、誘導には注意を払う。敦史くんの登下校はこうして学生たちがローテーションを組みサポートしている』
(歩道には自転車も走っているし、歩いている人も多い。二人はやっと大学内に入る。底には通訳・介助者が二人待ち受けている)
『学校まで無事に送り届けると、後は通訳者にバトンタッチ』
岡田「できることあるんだから、やってあげればいいんじゃないかっていう、それだけですね。では行ってきます」
(インタビューに答え終わって、去っていく岡田くん。
『岡田さんはこの後自分の大学に登校した・敦史さんはいま、仲間や学校など、周囲の善意で大学生活を送れている。今後もこのまま続けられるかどうか、一抹の不安もある』
(雨のなかを、女子学生の手引きで下校していく森くん)
(画面は古い映像に変わる。女性が隣に立つ女性の顔に手を押し付けるようにしている。顔に手をつけられたまま、英語で話す。話の内容は字幕スーパー)《提供:American Foundation for the Blind》
「彼女は口を触ってその振動から相手の言葉を理解しています」
『ヘレン・ケラー。幼いころに視覚と聴覚を失いながらも、その半生を福祉活動に捧げ、世界で最もよく知られている盲ろう者です』
(ヘレン・ケラーの本や写真)
(画面はアメリカの市街。《アメリカ》)
『ヘレン・ケラーの母国、アメリカの盲ろう者たちは今どのような環境におかれているのか』
(郊外の風景に変わる。《ニューヨーク州ロチェスター市、2011年10月》)
『ニューヨーク州北部、ロチェスター市に国立ろう工科大学がある。全米から聴覚障害の学生たちが入学しているが、盲ろうの学生も受け入れ、現在およそ30人が在籍している』
(大学内。学生たち。一人の黒人の女子大生が食堂に入ってくる。二人の女性と一緒に席に着く)
ザイーシャ「私は耳が聞こえないの。今朝はルームメイトに起こしてもらったわ。危ないあぶない、ぎりぎりだったのよ」
『ザイーシャさん18歳。弱視難聴の盲ろう者だ』
(靴を脱いで足先を見せるザイーシャさん。足先は指が全部癒着してしまっている。次に、かけていたサングラスをはずす。顔の上半分に奇形がある。目もおかしい。右目には黒い瞳がほとんどない。耳には補聴器をはめている)
『遺伝子の病気で、生まれつき指や顔面の奇形。また、視覚聴覚、のどなど身体の様々なところに障害がある』
(ザイーシャさんの昔の写真。衣装をつけ、トウシューズを履いてバレーを踊っている)
『ザイーシャさんは実の親を知らない。両親は育児を放棄し、彼女は4歳まで病院ですごした。その後、病院の職員だった今の両親の養子になり、育てられたという』
(養父母と男の子と一緒に幸せそうなザイーシャさんの写真)
(インタビューに答えるザイーシャさん)
ザイーシャ「子供のころは自分を受け入れることができませんでした。こんな風でなければ良かったのにと思いました。でも、両親のおかげでありのままの自分を受け入れられるようになったんです」
(大学の授業の様子。8人ほどの生徒が机を並べている。前で教授が音声と同時に手話での講義をしている。パソコンを置いている生徒もいる)
『ザイーシャさんは自分の体験から、将来子供たちの心のケアに携わりたいと思う。その勉強のために、サポート体制の整ったこの大学を選んだ。細かいニュアンスまで直接正確に伝えるため、この大学の教員たちは全員手話ができる。学生が希望すれば、同じ敷地内にあるロチェスター工科大学の授業も受講できる。この授業にも手話ついう役者が必ず着き、盲ろう者がいれば1対1での通訳も行う。通訳者は常時120人以上いるという』
(ロチェスター大学の大きな教室。女性の教授の講義。隣で手話通訳者が全体通訳。その横で、@パソコンに講義を入力している女性。各自のパソコンを見ている生徒もいる)
『授業を速記する、キャプショナーと呼ばれる専任スタッフも50人いる。手話と同時に、文字でもパソコンの画面で確認でき、データはそのまま保存されるので、学生はノートを取る必要がない』
(職員室内)
『こうした支援にかかる多額な費用は、国からの助成を入れながら、大学独自の予算でまかなっている』
(インタビューに答える男性。《国立工科大学デカーロ名誉教授》)
デカーロ「盲ろうの学生たちはどんな学科を専攻していても、我々はその分野で成功するための必要なサービスを全力で提供します。彼らの前に壁を作りたくないのです。アメリカの大学では障害を理由に入学を拒否される人は一人もいません。障害は審査の対象にはならないのです」
『この大学では学力の基準を満たしていれば盲ろう者もすべて受け入れるという』
(大学構内の廊下で話し合うろうの学生たち)
『そこには法律という後ろ盾がある。1990年に制定された、アメリカ障害者法。この法律には、教育機関や公共施設の利用、企業の雇用などあらゆる分野で障害を理由に差別してはならないと定めている。例えば学校や裁判所、病院などの公的な施設やデパート、ホテルなどでも障害者が通訳を必要とした場合、施設側は通訳者を手配するなどの義務を負う。電話会社も音声を手話通訳するサービスを提供しなければならない』
(この間に、各施設内での通訳の様子。電話での話では、画面に手話通訳する人が映る)
『法律で障害者への情報を保障しているアメリカだが、この法律も決して万能ではなく、法で定めた以外の場所では何もしなくて良いという負の側面がある』
(街を白杖を使って歩く男性。《全盲ろう、ビクターさん》)
『ビクターさんは全盲ろうだ。アメリカでは行政に夜通訳・介助者の派遣が整備されていない。そのため、自力で外出できるように、トレーナーの指導を受けて訓練を続けている』
(ビクターさんに触手話ではなっしている男性のトレーナー。説明を聞いたビクターさん。横断歩道の前で、何かカードを出して立っている。そばに近づいた女性がビクターさんの肩をたたく。女性に誘導されて横断歩道を渡る)
『交差点では介助を求めるメッセージカードをかざして周囲に協力を呼びかける』
(インタビューに指文字と手話で答えるビクターさん)
質問「迷子になったことは?」
ビクター「ないです」
トレーナー、ボークイン「健常者でも交通事故にあいますし、街では必ずリスクは存在します。そのリスクを受け入れるか否かは人それぞれが判断するべきことです」
『盲ろう者の単独歩行は、ニューヨークのような人の多い場所だからこそかろうじて可能であり、他に選択肢がないのは問題だという指摘もある。これもまた、アメリカの現実だ』
(一人歩行の訓練を続けるビクターさん)
『アメリカでは盲ろう者たちの心の支えになっている施設がある。ニューヨークの中心部から車で1時間の所にあるヘレンケラーナショナルセンター。ヘレンケラーが建設を強く望んだ施設で彼女が亡くなった翌年の1969年に開設された』
(ニューヨークの市街を抜けて車で走る風景。緑に囲まれた施設に入っていくと、ヘレンケラーナショナルセンターの文字。文字の横には、銅版に浮き彫りになったヘレンケラー像。建物に入ると、大きなヘレンケラーの姿を描いた絵が飾ってある)
『この施設は盲ろう者の自立を目指したリハビリ施設で、国と州が運営し、22歳以上の盲ろう者なら無料で利用できる。年間およそ100人の盲ろう者が入所し、宿泊しながら数ヶ月から1年程度の期間集中的に訓練を受けている』
(訓練の様子。点字タイプライターを打つ盲ろう者。廊下を白杖を使って歩く盲ろう者、職員がわざと行く手に椅子を置いてよける練習)
『寮生活を送りながらセンターで訓練を受ける全盲ろうのカルロスさん33歳。カルロスさんはアメリカ軍の元海兵隊員で、その後ホテルの料理人をしていたという。ところが5年前に、脳や脊髄に腫瘍ができる病気を発症。視力と聴力を突然奪われ、病気の影響で声も出せなくなったという』
(施設内の部屋で動くカルロスさん。壁を伝い、探した点字書類を読む。セーターを着込み、触読式目覚まし時計をセットしている)
カルロス(指文字と手話)「夢には色がつき、人の話し声も聞こえます。彼らの顔も見えます。気が動転して突然目を覚ますことがあります」
『カルロスさんのように、視力と聴力を同時に失ったケースは過酷だ。手話や点字も分からず、外部からの情報が完全に遮断されるからだ』
カルロス「まさに悪夢でした。私は人と関わることが好きなので、誰とも会話できないことは死ぬほどつらいことでした」
『家族を持たないカルロスさんは、長い間誰とも話さない孤独な日々を送ってきたという。そして、このセンターに入所し、初めて手話を覚え、人と会話ができるようになった。寮の台所では自炊する訓練も毎日続けている』
カルロス「今は料理も自分でできます。私は料理が大好きです。ヘレンケラーセンターは私の人生にセカンドチャンスをくれました。将来に新たな希望を与えてくれました」
(カルロスさんは頭には毛がありません。剃っているだけではなく、抜け落ちたのではないかと思います。顔の皮膚が引きつれたようになり、表情が作れない。音声が出せないのも口が動かせないからだと思います。目も多分瞬きができないのではないかと思います。身体は動きます。手もきれいな手で、器用に使えます)
(壁に飾ったヘレンケラーとサリバン先生の写真。その前で椅子に座った初老の男性。《ヘレンケラーナショナルセンター、マクナリティ所長》)
『盲ろう者の可能性を信じること。それが支援の鍵だとセンターの所長は言います』
所長「センターで適切な適切な訓練と必要なサポートを提供すれば、彼らは高い目標を達成して人生を切り開いていけることを証明してきました。盲ろう者の訓練にはお金がかかります。長い時間もかかります。それでもやる価値が有るのかと問われたら、答えはイエスです」
(突然、大勢の人の集まっている部屋。前でマイクに向かって話す福島智さん。音声は英語で、アルファベット指文字を使ってみんなに自分の名前を教えています。聞いている人たちはにこにこしています。《東京大学先端科学技術研究センター、福島智》)
福島「マイ ネーム イズ サトシ フクシマ」
『アメリカの聴衆を前に講演する福島智さん。福島さんは日本で始めて大学に進学した盲ろう者で、現在は東京大学の教授を務めている。アメリカで障害者の環境などに着いて研究を続けていた福島さんに、ヘレンケラーセンターの印象を聞いた』
福島「盲ろう者は生きる意味を見出しかねている、ネガティブになっている人が多いので周りの人とのかかわりこそが、自分自身の存在を輝かせる。生きているという実感を高める。そういう手ごたえを深めるものだということ。こういう、ヘレンケラーセンターにいると感じます」
(突然日本に戻って、夜、街を歩く森くん。居酒屋に入ってビールを飲み始めました)
『大学に進学した盲ろう者の森敦史さん。去年の夏に二十歳になり、もうお酒も飲める。この日訪れた店には他にも障害者のお客がいた。みな敦史さんに興味しんしんだ。こうして敦史さんは学校の外でも交友関係を広げている』
(居酒屋に居合わせたろうの客に手話で話す森くん。聞き取りは触手話。質問しに近づいた男性に答える森くん)
森「福祉関係の仕事をしたいと思っています。例えば盲ろう者を支援することとか・・・」
『ヘレンケラーセンターのような施設が、日本にも作られれば、そこで働いて見たいと敦史さんは夢を語っていた』
(一緒に来た友達は女性二人。ビールの後にもサワーか何か飲んで、完全に酔ってしまっている森くん。ゆらゆら揺れながら訳もなくにやにやしています。隣の女性が、完全に酔っているはといっています)
(突然、スタジオに戻ります)
金平「あのね、このVTRの中にあったアメリカのロチェスター国立工科大学とかね、ヘレンケラーセンターのありようを見ているとね、驚くというかね、共に生きるって言うんですか。有利な立場にいるものが、ハンディのある者を救ってやるとかそういうんじゃなくて、共に生きてくって言うような、すごく強い思想みたいなもの感じてね、それが根付いてるなあと思ったのと、後、周囲の人たちの、なんていうんですか、その善意とかね眼差しみたいなものを、例えばこの触手話とかね、ああいうの見ると本当に素直に心動かされましたよね」
竹内「共に生きるというアメリカの考えで言いますと、私はかつてアメリカの公立の中学校に通っていたんですけれども、その学校では授業でアルファベットの手話を教えていたんですね。ちょっとやってみますと、ABCDEFGと(指文字を出す)。これを知っていると最低限のコミュニケーションは何かあったときに取れるなと思ったんですが、そういったところに、共に生きるということが反映されているんじゃないかなと思います」
日下部「人と人との結びつき。まあ、精神面も非常に大切ですけれども、やっぱりこれ、車の両輪と一緒で、精神面にくわえて物理的な支援、これも非常に大切だと思うんですね。例えば2本の場合、公的なですね盲ろう者に対するリハビリ施設と言うのは東京に一箇所、しかも非常に規模の小さいものしかないそうです。ですからですね、このアメリカにあったヘレンケラーセンターのようにね、自分は決して一人じゃないんだと、この実感できるような施設。これが必要だというのはこれ、関係者の非常に強い希望であって。あともう一つ見てて思ったのはね、日本人はやはりどうしても他人に迷惑を掛けたくないという意識が強すぎて。VTRでアメリカで盲ろう者の人がカードを見せて支援を求めてる。これなんかも日本人の意識をちょっと変えればね、日本人だってやっぱり手貸すと思うんですよね」
竹内「以上特集でした」
2011年9月2日(金) 石田良子さんの書き起こしデータ
2011年9月1日 NHK東日本大震災プロジェクト
「明日へ」 −−支えあおうーー
福祉ネットワーク 震災と盲ろう者
書き起こし 石田良子
書き起こし凡例
() 画面の状況説明
『』 ナレーション(女性)
《》 画面テロップ
『甚大な被害をもたらした東日本大震災。多くの障害者も被災し、過酷な状況に追い込まれました』
(津波に襲われた被災地。朝日が昇り悲惨な風景に陽が指し始めます)
(街の歩道を白杖をつかって歩く一人の女性。車道に近い部分は歩道があちこち崩れかけ、工事中のしるしがあったり、砂袋が置かれていたりします。女性は時々崩れた部分に足をとられそうになったり、砂袋に道をふさがれたりします)。
『中でも見ることと聞くこと、その両方に障害がある盲ろう者は大きな困難と恐怖に直面しました』
(先ほどの女性が、部屋の中で携帯の画面を、ルーペを使って読み取っています)
『震災直後、停電や通信網の混乱によって、情報を得る一切の手段を失ってしまったのです』
女性「テレビも見えない、ラジオも聞こえない、新聞も見えない。なんか、自分だけ別の世界に居るような、取り残された感じがしましたね」
《盲ろう者》
(居間のテーブルで、手書き文字で話し合う二人の手。カメラがさがると、前回のテレビに出ていた八幡さんと若い女性が会話しています)
『さらに、その後の生活にも深刻なダメージを負うことになりました。この女性は、触手話ときう方法で14年もの間サポートしてくれた通訳・介助者を津波で失いました』
(以前の写真。岡田さんの通訳を受けている八幡さん)
『十分にコミュニケーションできる相手が、町に一人も居なくなってしまいました』
(カメラに向かって手話で話す八幡さん。手話表現で、いつも、一人、いる、さびしい、くるしい)
《震災の後は毎日一人で家に居ます。本当に寂しいんですよ。苦しいんです》
(別の家の中。触手話で話し合う男性と女性)
『東日本大震災の中で、盲ろう者はどのような現実に直面したのか』
(また、別の家の中。触手話で男性の話を聞く女性。周りに何人かの人がいる)
『そして今、どんな支援が求められているのか考えて生きます』
《東日本大震災。盲ろう者に何が起きたか》
(スタジオの画面。町永俊雄が語り、横で手話通訳師が手話通訳しています)
町永「福祉ネットワークです。今日、9月1日は防災の日です。そして今月11日は、あの東日本大震災からちょうど半年ということになります。あの震災の時、障害のある人たちはどんな状況に置かれていたのか、そして私たちはどんな支援ができるのかをお伝えします。この時間はいつものように、手話通訳そして字幕放送。映像には解説放送を交えてお伝えすることにいたします。今日お伝えするテーマは、盲ろう者は震災の時どうだったのかということです。まず一口にですね、盲ろう者と言いますけれども、いわゆる視覚障害、聴覚障害併せ持つのが盲ろう者と言われていますけれども、全く見えない、全く聞こえないという場合は全盲ろうですが、それ以外にですね、見えにくい、聞こえにくいといった、盲難聴、弱視ろうも盲ろう者であります。二つの障害あわせ持つだけではなくて、盲ろう者ならではの大変な困難があります。一つはですね、情報から遮断されてしまうと言うことです。自身などの災害の時にですね、そうしたリスクを負った人たちは、一体どう行動したのか、どんな困難に陥ったのか。まずは宮城県の盲ろう者の方にお話を伺いました」
(仙台市の風景。その後、番組最初に出た、歩道を歩く女性の画面)
『宮城県仙台市。みやぎ盲ろう児・者友の会会長の早坂洋子さん、29歳です。早坂さんは弱視難聴で、慣れたところへは一人で出かけることができます。しかし、地震で道路が陥没していたり、復旧工事がひんぱんに行われたりするため、外出には危険が伴うようになっています』
早坂「工事のおじさんが、こっちですよと誘導したりするんですけど、その声が聞き取れなくて、どっちを通っていいのか分からなかったり、盲ろう者にとってはいつもと状況が違うというのは、自分で見えないとそれがつかめないので、不安がありますね」
(初めに出た、部屋の中で携帯画面を見る早坂さん)
『早坂さんは携帯電話が復旧したあと、会員に連絡をし、災害時の体験を聞き取りました。その結果、盲ろう者にはライフラインの状況や避難所の場所など、必要最低限の情報さえ届いていなかったことが分かりました』
早坂「給水所があるのは分かっていたんですね。どこかでもらえるんだろう。でも、何処にあるか分からない。そういうのがテレビやラジオで情報はあったんですけど、その情報が入ってこないので、何処に行けばあるのかわからないという人がいましたね。あらゆる情報から断絶されて孤立してしまう。そういう不安ですかね」
(仙台の街中)
『会員の中で最も残酷な状況に追い込まれたのは、独り暮らしの盲ろう者でした』
(初めにでた、若い男性の部屋。ルーペを使って携帯の画面を見ています)
『仙台市内に住む森山さんです。携帯のメールやネットの情報、通訳・介助者の支援を頼りにようやく独り暮しができていました。そして3月11日』
(カメラに向かって手話で話す森山さん。手話は、ゆれる、恐い、泣く、恐い)
通訳の女性の声での通訳「大きな揺れがきて、とても恐くて身体が動きませんでした。怖くて怖くて涙が出ました」
(震災当時のイメージ映像。部屋の家具が倒れ、棚のものが落ちる)
『震度6強。マンションの3階の部屋は激しく揺れ、大きな家具が倒れた振動が森山さんにも伝わってきました』
森山「灯油のカンがひっくり返ったような感じで、においがしたんですね。足で踏んで、落ちていたものが刺さって分かりました」
(落ちた食器が細かく割れている様子)
『森山さんは弱視のため細かいものは見えません。足の裏に刺さった食器のかけらや、灯油のにおいから、散乱した部屋の状況を理解しました、。これでは外の状況もひどいに違いない。森山さんは一人で外に出るのは危険だと考えました。唯一のコミュニケーション手段だった携帯メールは使えず、助けを求めようにもそのすべがありません。森山さんは布団をかぶり、寒さと孤独に絶え続けるしかありませんでした』
森山「文字のニュースも見られないし、ワン瀬具放送も見られないし、メールも使えない。情報も入らないし、どうしたらいいかとても不安で悲しくなりました。時々余震も起きていたので、夜も怖くて、寒くて、泣いていました」
(玄関のベルを押す手。ドアを開けようとしてもあかない。停電でつかない部屋の中のフラッシュライト)
『地震発生から二日後、森山さんを心配した友人がマンションを訪ねてきました。しかし、中からは反応はなく、友人は引き返すしかありませんでした。部屋にはインターフォント連動するランプがありましたが、停電のため作動しませんでした。地震から3日後、不安と恐怖感がピークに達したとき、青森から両親が車で助けに来てくれました』
森山「突然来たのでびっくりしました。とてもうれしかったです。いろいろ手伝ってもらいました。両親が家の鍵を持っていたので、入る事ができました」
(早坂さんの部屋。拡大器に携帯画面を映し出して読んでいます)
『盲ろう者友の会の早坂さんは、被災した会員にはすばやい支援が必要だと感じました。しかし多くの自治体では盲ろう者を把握さえしていません。さらに、友の会に所属する、通訳・介助者も被災し、駆けつけることが困難でした』
早坂「こんな時だからこそ役立ちたい。でも、それがなかなかできない。そういうのが、もどかしさみたいな、悔しさですかね」
(津波に襲われた町。続いて、八幡さんの部屋。洗濯物をたたむ八幡さん)
『岩手県沿岸部の大槌町。死者、行方不明者は合わせて1400人にのぼります。盲ろう者の八幡美知子さん60歳。震災後、生活が大きく変わりました。14年間支えてくれた通訳・介助者が、津波で行方不明になってしまったのです』
(いろいろな会場で盲ろう者同士が話したり、通訳を受けたり、している画面)
『通訳・介助者は盲ろう者のコミュニケーションを可能にするとともに、外出や社会参加を支援する役割を担っています。触手話や指点字など、高度なコミュニケーション手段を身につけ、盲ろう者とは家族以上に心を通わせている人も少なくありません。八幡さんの通訳者だった岡田さん。町で唯一の通訳・介助者でした。外出する機会がほとんどなかった八幡さんを、手話サークルに誘い、生きがいを感じられるようサポートしてきました。八幡さんは家族とは手のひらにひらがなを書いて伝える手書き文字で会話しています。しかし、必要最低限の情報しか伝えられません』
(八幡さんの家の部屋。息子さん夫妻と二人の孫)
長男、八幡命助さん「岡田さんは家族のことも気にしてくれたり、いろいろ心配してくれたりという方だったですね。そういう人が近場にいたために、うちらは助かった」
長男の妻 みさ子さん「だからちょっと私たちもショックなんです。岡田さんがいないと」
(独り部屋に座り込む八幡さん)
『現在最も近くにいるのは、車で1時間かかる隣の市の通訳・介助者です』
八幡「岡田さんといつも朝早く出かけて、行きも帰りも電車の中で触手話でおしゃべりしました。楽しかったです。震災後は毎日一人で家にいます。本当に寂しいんですよ。苦しいです」(この言葉には音声通訳は付いていません字幕だけ)
『岩手県盲ろう者友の会では、八幡さんのために通訳・介助者を養成する講習会を開くことにしています。しかし、もとの生活に戻るまでには長い時間がかかりそうです』
(スタジオに戻る)
町永「今日はスタジオに、全国盲ろう者協会評議員で、NPO法人、すまいる理事長の門川紳一郎さんにおいでいただいています。門川さんご自身も盲ろう者で、私の話はですね、指点字といいまして、点字をタイプライターのようにして伝えることで、私とのコミュニケーションを測りながら伺っていきます。通訳・介助じゃ藤井明美さんです。よろしくお願いします。まず、門川さんにうかがいたいのですが、盲ろう者の森山さんという青年ですけども、自分の部屋に3日間も閉じ込められてしまったという、震災当時の状況、門川さんご自身はどんなふうに受け止めたでしょうか?」
門川「盲ろうの人は、災害が発生した時に、情報から遮断されてしまいますし、何が起こっているのか、自分で把握ができませんね。ですから森山さんの様子を見ていて、盲ろう者というのは、不安と恐怖と隣あわせているんだなあと思いました。まあ、独り暮らしの盲ろう者だけでなく、避難所にいた場合でも、避難所での生活もすごく大変で、苦労されている方はたくさんいらっしゃると思います」
町永「もう一人岩手県の盲ろう者の場合は、たまたま家族もいらして在宅ですけれども、介助している人が行方不明になってしまったということですけど。介助の人がいないというのは、月日がたってもとても暮しが困難なように見受けたんですけれども、門川さんはどんなふうに子ランになりましたか?」
門川「そうですね、家族が板としても、家族は簡単な会話、ご飯だよ。お風呂だよ。そういった会話しかできませんから、通訳・介助の存在は大きいですね。家族とのコミュニケーションのために、通訳・介助者が必要な場合もあります。あと、通訳・介助者は通訳と介助をするだけではなくて、盲ろう者にとって話し相手になることもあるわけですから、盲ろう者は一人でいると孤独ですよね。そんな時に通訳・介助者が通訳・介助を市ながら話し相手になってくださる。そういうことも大変大切な部分です」
町永「孤立から支援するためには、行政の役割は大きいと思いますが、その辺りはどんな風に捉えていますか?」
門川「第1番目に言いたいことは、行政として、盲ろう者という障害種別を法律の中でも認めていただきたいなと言うことです。いま、視覚障害者、聴覚障害者、他の身体障害者といった障害種別はありますけれども、盲ろう者といった障害種別は、法律の何処にも書かれていないんですね。と、いうことは、盲ろう者という存在を知らない人が多いということにもつながってくるんじゃないかと思っています。あと、お隣づきあいといったことも、日頃から心がけておくことが大切だなと、つくづく思っています」
町永「地震の時に盲ろう者が一番助かるのは、行政の仕組み、そして地域の人々のネットワーク、この二つが必要だろうと思います。さあ、そうしたネットワークはどうしたら形づくられるのか。今度は、京都の取り組みをお伝えしましょう」
(静かな町並み。施設に送迎バスが到着する)
『京都府北部の町。この地域の聴覚障害者を支援している聴覚言語障害センターです。やってきたのは、利用者の太田千津子さん61歳。独り暮らしの盲ろう者です。9年前に父を亡くし、独り暮らしになったのを機に、ここに通うようになりました』
(施設の部屋の中。大きなテーブルの周りに何人かの人がいます。太田さんは若い女性と、触手話で会話しています)
『太田さんは、週に1回開かれる喫茶店で、地域住民と触れ合うのを楽しみにしています』
(次は別の女性が、太田さんの手に文字を書いています。読み取った太田さんが、手話で)
太田「木村うたこ」
スタッフ「そうそう、合ってます」
『センターでは9年前から太田さん個人の防災計画作りに取り組んでいます。この地域は台風の被害が多く、避難が必要になることもあります。太田さんのような、自分では情報を得にくい障害者をどう守るか。それがセンターの役割だと考えているのです』
(台風による被害を受けたときの町の様子)
スタッフの男性、黒田卓也さん「災害が起きたときに、お独りで避難したり、対策をするのが難しい状況があります。こういった交流も含めまして、太田さんを支えていこうということで、取り組みを進めています」
(太田さんの家。玄関を入っていく黒田さん)
『太田さんの安全を守るためには、どんな取り組みが必要か。聴覚言語障害センターでは、町の関係者とネットワークを作り、月に1回太田さんの家で会議を開いています』
(太田さんの家の部屋の中。黒田さんのほかに、二人の男性と一人の女性が来ています)
『メンバーは、地元の町役場や社会福祉協議会、障害者生活支援センターの職員などです。9年前、ネットワークの発案で、太田さんの家には、緊急通報装置が設置されました。この日は年に1度の装置のテスト。首から提げたペンダントのボタンを押し、無線で装置を作動させます』
(首にかけたボタンを押す太田さん。部屋の隅に置かれた機械がなります。「太田千津子です、来てください」と繰り返し音声が聞こえます)
(別の家の部屋。電話が鳴ります。主婦が受話器をとります)
『電話回線を通じて、近所の小西さんのお宅に通報が流れ、太田さんが助けを求めていることが分かります』
(太田さんの部屋。太田さんが突然腕にはめている機器を指差しています)
『一方こちらは太田さんのお宅。太田さんが腕につけた腕時計が振動し、玄関に誰か来たことを知らせます。ご近所の小西さん到着。ペンダントを作動させてから、およそ30秒でした。太田さんは町からも、災害時要援護者に指定され、必要な際には町の職員が駆けつけます。しかし、距離は車で15分。通報システムは心強いみかたです。この日は、東日本大震災を受けて、電話回線がつながらない場合などはどうするか。知恵を出し合います』
太田(手話で)「もし、地震が起きたら、早く逃げないといけないけど、できないと思う。電気も止まるかも知れない、家も壊れるかも知れない」
寺田悟(センター職員の男性)「防犯ブザーなんかも有効だとは思うんですけど、太田さんの場合、ボタンを押しても発信できているか分からないので」
佐藤龍平(社会福祉協議会)「何かで外に知らせるということが必要であれば、発炎筒から何かを得るか、色つきの黄色とかね、そういう部分で知らせると言うのも一つのパターンだと思うし」
『災害の規模が大きくなればなるほど、装置やシステムでは不十分だという声が相次ぎました』
佐藤「やはり今来てもらった小西さんとか、地域の人に助けてもらう部分が大きいと思うんですね」
寺田「ちょっとおかしいなと思ったときに、気をとめていただけることがまず大事なのかなということですね」
黒田「あらゆる期間と相談していく中で、思いがけない知恵ですとか工夫に気付けるというのはすごく必要なことだと思いますし、こういった積み重ねを重ねることで、地域の方に啓発的に知っていただくこともできますので、今後も続けていきたいと思います」
(日が沈んで夜になります。太田さんの家に何人かの人が訪ねてきます。太田さんの家の部屋には、若い女性が7,8人集まっています)
『地域の人たちの中にも、太田さんを見守ろうという動きが広まっています。この日、太田さんの家で開かれたのは、地元の手話サークル。およそ10年前から、毎月1回、太田さんの家で開いています』
(代わる代わるに、太田さんと触手話で話をしています)
女性(手話で)「今晩、太田さん食べる、何?」
(太田さんが、手話でなにやら、今夜のご馳走についての説明をしています)
女性たち「これ何? お豆腐と違う? 生協のお豆腐。ああ、ねぎだ、ねぎ刻んでる。おしょうゆかけて食べてるところだ」
『こちらのメンバーは半年前にサークルに加わりました。太田さんとの会話を楽しみながら、触手話を勉強しています』
太田垣美千代さん(手話サークル)「太田さんがここに住んでおられることを多くの方が知っていて、ここに茶の間があるとかね、何処に太田さんが休んでおられるかと、そういうことを当てにしながら、多分千津子さんを支援していかれているのが、地域の人がみんな知っているということが、とても大事になってくるんじゃないかなと思っています」
(スタジオに戻る)
町永「災害の時のみならず、暮しの中に何かあった時に、盲ろうの人をどう支えることができるのか、京都北部の地域の取り組みをご覧いただきました。もう一回その取り組みを振り返ってみますと、太田さんという盲ろうの独り暮らしの方がいました。もし、何かあったら、大変印象的なのは緊急通報システムですね。なかなか発信するのが難しいわけですから、ボタン一つで、助けてくださいということが、ご近所に電話回線を通じて呼びかけられるシステムです。でも、このシステムをいかすのは、実はここにありますような、聴覚言語センターや、社会福祉協議会と行政が緊密な連携を取って、この太田さんにいろいろな相談をする、意見を聞く。そしてそれのみならず、ご近所に呼びかけて、太田さんを取り巻くようなネットワークがあることで、このシステムが機能しているというところかと思いますが」
(パネルには、太田さん、聴覚言語センター、社会福祉協議会、行政、緊急支援システム、地域の人たち。この関連を漫画で分かりやすく描いて見せています)
門川「そうですね。ハード面・ソフト面ともに充実しているなあと思います。これは理想ですね。太田さんも独り暮らしされているということもあって、彼女のお宅に近所の方々が集まって手話のお勉強会と称して、おしゃべりがあったり、情報交換があったり、太田さんの生きがいにもつながっている部分もあるでしょうし、すばらしいですね。緊急時の実ならず、日常生活の中でも、常に何かあったときに助けを求めやすくなるでしょうし、手話ができなくても手のひらに文字を書く方法を使ってもコミュニケーションを取っていらっしゃる方もいますし」
町永「災害時に盲ろう者の支援、社会全体としてどう捉えていったらいいのか。まず、どんなことが必要でしょうか?」
門川「盲ろう者は普段避難訓練を受けて以内人が多いと思うので、災害時に備えて非難訓練を受けておけば、いざというときに役立つだろうと思います。あと、そうですね、盲ろう者という存在そのものがあまり知られていないですね。ですから、その地域に何処に誰が居るのか、何処に盲ろう者が住んでいるのかということを、あらかじめ、行政、警察、消防署などが把握しておいていただくということが大事になってくるかなあと。何かあった時には、行政、警察、消防署と、また近所でも助け合いができたらいいと思っています」
町永「あと、必要な提言というと、どういうことになるでしょうか?」
門川「今、盲ろう者に対して、行政が実施しているサービスは都道府県レベルで行われていて、広域事業ですね。通訳・介助派遣事業がありますが、盲ろう者というのが、そもそも潜在人工が他の障害者に比べると少ないもので、広域事業となっているんですけれども、もし、可能であれば、市区町村単位、小さい行政単位でも実施していただくとなれば、もっと便利に通訳・介助派遣を利用することができるようになるのではないかなと思いました」
町永「今日はどうもありがとうございました」
《福祉ネットワーク。終。制作、著作、NHK》
2011年7月14日(木) 新保さんからのメール
題名 : [tomo-ml :575] テレビ放送の情報
差出人 : シンポ トシミ
宛先 : "tomo-ml"
受信日時 : 2011年 7月14日(木曜) 19時40分
千葉友の会からテレビ放送の情報を頂きました。参考までにお送りします。 新保
TBS『報道の魂』
7月17日深夜25:20〜放送
”盲ろう者”に生まれて〜見えない聞こえない19歳、学びの軌跡〜
19歳の青年、森敦史さんは「盲ろう者」だ。
盲ろう者とは、視覚と聴覚、その両方に障害がある人のことをいう。
盲ろう者の多くは、人生の過程で重複障害になった人たちだが、
敦史さんは、先天性の盲ろう者だ。
生まれながらに見ることも聞くこともできない。
「光と音のない世界に生まれ、人はどうやって生きていけるのだろうか」。
敦史さんの19年間の人生が、その答えを出していた。
家族とのコミュニケーションも取れない。感情表現の仕方もわからない。
そこから始まった敦史少年の“学び”の日々・・・。
言葉の習得から感情の育み、そして、数や距離など“概念”の理解。
それはゴールのないマラソン、余りにも険しい坂道の連続だった。
家族や教師たちと試行錯誤を繰り返しながら学び続けた敦史さん。
そんな彼にはいつしか夢ができた。
それは、大学進学。
先天性の盲ろう者が大学に進学すれば、全国で初めての快挙だ。
敦史さんの大学への挑戦とその後・・。そして、支援の狭間に置かれて
いる盲ろう者たちの苛酷な現実を見つめた。
2011年6月5日(日) 5月交流会報告
5月交流会報告
日 時:平成22年5月12日(日) 午後1時〜3時
場 所:土浦市社会福祉協議会(ウララ2ビル)4階 講義講習室1
内 容:総会資料準備 交流会
参加者:15名(盲ろう者5名)
資料A3用紙3枚をそれぞれ二つ折りにし、順に折込み、最後に入会申込書を
真ん中に入れ完成。それを一部ずつ封筒に入れる。千葉からご参加のお二人
もお手伝いくださいました。
その後は皆さんから差し入れのお菓子をほお張りつつ震災体験談議でした。
<前川さん>
屋根のグシと瓦が壊れました。震災発生時は、たまたまヘルパーさんが来ていた
のでヘルパーさんと一緒に避難所へ避難しました。家の中は倒れた家具や食器や
ガラスの破片が散乱しているので暮らすことはできず、娘の家に避難しました。
震災後、ストレスからか帯状発疹になり、家内も盲で薬を発疹箇所に塗ることが
できないため水戸市に住む娘の家で生活していました。少し落ち着き自宅に戻っ
た途端、大きな余震にあいタクシーで娘の家にとんぼ返りでした。娘の家ではパ
ソコンも散歩もできず不便でした。
<田山さん>
大洗には津波はない、津波被害とは無縁だと思い込んでいました。3月11日
議会傍聴が終わって帰宅、ホッとお茶を飲んでいたところに地震!動くことがで
きず、布団をかぶっていました。血圧の薬、通帳、手動式の懐中電灯・・・。
「波が防波堤を超えた」と避難警報が。集会場は海の近く。とにかく高台へ高台
へと中学校へ避難しました。畳の部屋でした。目の前にはグループホームから避
難の高齢者。徘徊したり怒鳴ったり、自分の行くすえを見た思いでした。
一日の食事は、リッツ数枚とおかゆ。電話もメールもできない。大変でした!
だるま納豆の差し入れがあり、それを食べて本当に元気がでました。
交通機関の復旧はまだまだですが、それでも震災後今日初めて電車に乗ってやっ
と外界へ出ることができました。地震は怖い!この歳で初めて津波を体験しまし
た。
<須之内さん>
家は築33年位で押せば倒れるような家だが、トタン屋根なので軽くて大丈夫だっ
た。ボイラーの灯油タンク200リットル、給油タンク90リットルがクーラー
の室外機の上に倒れて怖かったです。
棚が倒れたり食器やガラスの破片等片付けるのは、草取りと同じで腰を落として
やるわけにいかず、3日ほどかかったが本当に疲れました。
友人たちも全壊が2軒、半壊が10軒位。行方市の人は地盤沈下で、道路から1段
下りて家に入る感じ、普通ならとても住める状態ではありません。
液状化のすごいのは、電柱の足元が揺らいで、次の揺れで電柱が沈む。
避難した一人暮らしの視覚障害者の中に「あなたは一人では無理だからアパート
に住めば」と言われ困っている人がいます。
<佐藤さん>
あの日は上野について、14:40の地下鉄に乗ろうと思って地下にいました。
ん?めまい?地下だから??そしたら震度5強。上に行ったらJR職員が 「外
に出てください」 と叫んでいました。でも、「上野動物園にパンダでも見に行
く
か」などの声も聞こえ、のんきな感じでした。
帰宅困難者となり、上野公園の地下駐車上に避難。暖房はあるし水も出る、トイ
レも綺麗、そこで一晩過ごす覚悟を決めたら地下鉄が少しずつ動き出しました。
結局、妹のつれあいと合流でき明け方3時に調布の実家に帰り着きました。
私は茨城県民ですが、実家の調布で計画停電を経験した。茨城の家の近所の人
たちは、最後まで水が出ず洗いもの等は川でしていたとのこと。日立では給水所
が1箇所だけ。歩いて40分。8時間並んでやっと水を貰い、帰り道は遠くて重
く大変だったとのこと。ガソリンもなく、「犬ぞりにしたらいいよ」の声も出
ました。視覚障害者たちは、水などみんなどうしていたのだろう…。
今日は皆さんに会えて本当に嬉しかったです!
<大塚さん>
地震はヤダ! 聞いているだけでせいいっぱい!!
<山下さん>
5月の連休に大洗に行ってきました。
屋根や窓にブルーシートの家が沢山。液状化での段差箇所多数。美術館も被災し
休館状態でした。帰りはもちろん水戸納豆を買いました。海鮮丼も美味しかっ
た!茨城にお金を落とし、茨城の経済を回して来ました。
<相沢さん>
震災のあとはユッケで大変だねえ。
賛助会員の平塚智徳さんは、今回大きな被害を受けた宮城県石巻市に住んでいた
ことがあったそうです。
2011年5月23日(月) 点字による携帯電話でのメール送受信システム貸し出しの情報
新着情報コーナー | NPO法人 視聴覚二重障害者福祉センター すまいる
http://www.deafblind-smile.org/news.html
使ってみませんか?
点字による携帯電話でのメール送受信システム
〜Braille Mobile Communicator(BMC)〜
この度すまいるでは、点字ピンディスプレイと携帯電話を使ったマルチ・コミュニケーションシステムを開発しました。
本システムは、携帯電話用アプリケーションを開発することにより実現可能となりました。障害者の中でも、主として視覚と聴覚に障害がある、いわゆる盲ろう者が、点字を使って他者とコミュニケーションするために役立つシステムです。
本システムは、ポケットなどにすっぽりはいる大きさなので、持ち運びに適しています。
本システム用にキャリーケースをすまいるで特注制作しました。ご希望の方にはキャリーケースだけの取り扱いも可能です。
また、本システムは、携帯電話を使って点字出力を実現したものとしては日本発のアイディアシステムです。
体験してみたいという方、すまいるまでお問い合わせください。期間限定ですが、体験用にBMCの貸し出しも行っています。
◇◆特徴◆◇
1.メールの送受信
携帯電話側にインストールしたアプリケーションを起動することにより、点字ディスプレイ側での簡単な操作のみで、メール本文の編集、送信、受信、アドレス管理等が可能です。
日本語では、漢字かな混じり文の編集ができます。
2.Face to Face コミュニケーション
携帯電話側にインストールしたアプリケーションを起動することにより、点字ディスプレイと携帯電話の間で会話ができます。
点字ディスプレイを盲ろう者が使い、携帯電話を晴眼者が使うことで、1対1でのコミュニケーションが可能。
盲ろう者は点字ディスプレイ側で会話の入力、相手側からの受信メッセージの触読をします。晴眼者は、携帯電話の編集画面でメッセージの読み書きができます。
お互いに合図のようなものを決めておけば、1対1で直接会話ができます。(例えば、 "go ahead"、”どうぞ”など)
2011年4月8日(金) 第21回全国盲ろう者大会中止のお知らせ
題名 : [tomo-ml :489] FW: 第21回全国盲ろう者大会中止のお知らせ
受信日時 : 2011年 4月 8日(金曜) 6時 6分
茨城盲ろう者友の会事務局です。
協会より大会中止のお知らせです。転送します。
平成23年4月1日
社会福祉法人全国盲ろう者協会
理事長 阪田 雅裕
第21回全国盲ろう者大会中止のお知らせ
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。当協会の事業運営につきま
しては、日頃より多大なご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、来たる8月26日(金)〜29日(月)、静岡県浜松市の浜名湖ロイヤ
ルホテルにて予定しておりました「第21回全国盲ろう者大会」を、このたびの
東日本大震災に鑑み、中止とさせていただくことと致しました。
これまでの半年間、大会実施に向けて、静岡県在住の盲ろう者及びその支援者、
東海北陸地区の友の会の方々にご尽力いただき準備を進めてきましたが、このた
びの震災を受けて、大会実行員の皆様と協議致しました結果、開催に必要な寄付
金を集めるのが困難であることに加え、全国で甚大な被害が出ていることや、関
東近辺での輪番停電、それに伴う公共交通機関の乱れの見通しがたたないこと、
また被災された方々のお気持ち等を察し、開催を中止するのが望ましいとの結論
となりました。
1991年の第1回全国盲ろう者大会の開催を皮切りに、これまで毎年欠かす
ことなく実施されてきた全国盲ろう者大会、年1度の開催を楽しみにされている
盲ろう者の皆様方のお心を思うと心苦しく思います。
苦渋の選択ではございますが、なにとぞご理解の程よろしくお願い致します。
そして東北地方太平洋沖地震におきまして、亡くなられた方々のご冥福を心よ
りお祈りし、また被害に遭われました皆様方に心よりお見舞いを申し上げます。
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橋間信市(Hashima Shin'ichi)
2011年3月25日(金) 事務局(浜口さん)からのメール
題名 : [tomo-ml :473] 茨城新聞に掲載されました。
宛先 :
受信日時 : 2011年 3月25日(金曜) 23時22分
友の会事務局です。茨城新聞の鈴木貴子さんから連絡があり、記事にしてくださいま
した。
「これからも何かお手伝いできることがありましたら、連絡ください。」とのお話で
した。
「盲ろう当事者が地震があったときにどう過ごしていて、どのような気持ちになった
か、その後の生活で不便を感じる点をお聞きしたい。」ともお話されていましたの
で、盲ろう者のみなさん御連絡した際はぜひご協力ください。
ここから記事です。
盲ろう者の支援を 震災や生活関連情報 高齢者らに届かぬ恐れ
2011/ 03/ 24 (木) 本紙朝刊 第3社会 A版 17頁 自社 661字
■友の会 伝達呼び掛け
視覚と聴覚の両方が不自由な盲ろう者に、震災や生活に関する情報をどう伝えるか
−。茨城盲ろう者友の会は、登録者に情報をメールやファクスで配信しているが、機
器を扱えない高齢者などへの伝達が十分でないという。「震災で不安を抱えたまま生
活している盲ろう者は多いはず。情報が伝わりにくい人がいることを意識して、ご近
所などで声を掛けてほしい」と呼び掛けている。
県内には約500人の盲ろう者が在住すると推計される一方、個人情報保護法が壁にな
り、友の会が把握しているのはわずか10人。
盲ろう者はコミュニケーション手段が限られ、印刷物やテレビなど通常の伝達手段か
らでは情報を得にくい。震災情報が十分に伝わらず不安を募らせたり、ライフライン
の復旧状況、まちの様子が分からない人も少なくないとみられる。
友の会は、全国盲ろう者協会(東京)が発信している全国の震災情報をまとめ、メー
リングリストに加わっている盲ろう者や通訳介助者らに随時送信している。ただ、
メールを受信する際にはパソコンまたは携帯電話で、音声や点字に変換するシステム
が必要になるため、パソコンを持っていなかったり、機器の操作ができない人は情報
入手が難しい。
担当者は「ガソリンスタンドの営業や給水情報、ライフラインの復旧状況など身近な
情報が不足している。目、耳が不自由な人が身近にいるのではないかとアンテナを高
くして、支援をお願いしたい」と話している。同会は盲ろう者に関する情報を求めて
いる。連絡先は事務局TEL0297(74)1105(ファクス兼用)。